1937
本社・川崎工場
起工式挙行
生産能力の増強を目的に神奈川県川崎市塩浜町の工場建設を計画し、土地の購入が完了。
1937
本社・川崎工場 完成。
本社機能および設備の
移転完了
工場建屋が完成し、東京都荏原郡大井にあった本社工場より本社機能と設備一式を移転。
1941
ドイツ ワインガルテン
社製1,500トンプレスを導入
大量の軍需品の注文を消化するための設備増強。高い精度により注目を集める。
1945
空襲により一部に被害
4月から長野県への疎開の準備を進める中、米軍機の空襲に遭う。幸いにも焼夷弾1発が屋根を貫通したのみで大きな被害なし。
1945
生産を再開
8月の終戦後に一時解散となったが、長野県に送った機械を引き上げて生産を再開。自転車用部品、農機具、その他民需品を生産。
1954
大型トラック用アクスルケースの生産を開始
工場裏手にあったテニスコート、相撲道場をつぶして工場建屋を建設し、溶接機など設備を導入。25人編成で生産を開始。
1959
3,000トン油圧プレスの
設置を含む設備拡充を
実施
生産の拡大により隣接する用地を購入し、建屋の増改築、プレス機の増設などを順次実施。
※動画再生できます。
1962
厚生会館が完成
会社発展に伴う厚生施設の充実を図るため、3階建の厚生会館を建設。1階に診療所、ロッカーなど、2階に食堂、3階に会議室が入る。
1965
本社社屋が完成
40周年を機に5階建の本社社屋を建設。6月に記念式典と合わせ完成披露パーティーを開催。
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1966
4,000トン単動クランクレスプレス機を設置
当時国内最大の大型プレス機を設置し、大型フレーム用サイドメンバを生産。
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1972
大型トラック用フレームの組立ラインを整備
当時のトラック大型化に対応するためにプレスラインを整備し、脱脂からプライマーまでのフレーム塗装を自動化。
1976
プレス製パーキング
パレットの生産を開始
4,000トンプレス機で本体を成形して溶接組立。日産自動車の完成車倉庫用に納入。
1976
初のNC穴明機を設置
穴明け加工の精度向上と省人化を図るために、当社工機部が製作し設置。主にフレームのクロスメンバ・ガセット用として使用。
1980
フレーム用サイド
メンバー ウェブ面
NC穴明機を設置
その後、1981年11月に2号機、1984年11月にフランジ面のNC加工機を設置。
1984
フレーム塗装ラインの
全自動化が稼働
チェーンコンベアで完成フレームを静電塗装工程とタッチアップ工程に搬送。作業環境を大幅に改善。
1988
第2事務棟が完成
鉄筋3階建ての事務棟を建設。1階に診療所・警備室など、2階に川崎工場事務所、3階に設計部・海外事業室が入る。
1990
建機用カウンター
ウエイトカバーの生産を開始
油圧ショベル用カウンターウエイトのカバーを3,000トン油圧プレスによりプレス化することに成功。日立建機向けに生産を開始。
1992
大型トラック用
アクスル第2ラインの
段替えレス化を実現
1989年の部品付け工程セル生産方式の確立に続き、丸切り工程のプラズマ化、リング仮付けの自動化などにより段替えレス化を達成。
1993
スーパーフレーム専用
ラインを設置
三菱自動車向けスーパーフレーム(ウェブ締結大型フレーム)専用ラインを新設。5月には自動リベッターロボットを導入。
2000
ISO9001認定を取得
2000
ワインガルテン1,500
トンプレス機を撤去
59年間稼働したワインガルテン1,500トンプレス機を老朽化により撤去。鉄道車両部品の生産が終了。
2007
いすゞ向け大型・
中型トラック用フレーム生産を他工場に移管し
終了
いすゞ川崎工場の閉鎖を受け、生産体制再編の一環としていすゞ向けトラック用フレームの生産を藤沢工場、宇都宮工場に移管。
2008
MFTBC向けトラック用アクスルユニット組立を開始
三菱ふそうトラック・バス(MFTBC)より大型・小型トラックのユニット組立ラインを移管され生産を開始。
2013
本社社屋の耐震工事
実施。厚生棟を解体
耐震性の問題により厚生会館を解体・撤去。本社社屋に耐震工事を行い食堂・ロッカーなどを移設。
2024
新・事務厚生棟が完成
100周年記念事業の一環として、旧厚生会館の跡地に3階建ての事務厚生棟を建設。1階に診療所、2階に食堂、3階に川崎工場事務所が入る。